私は富士市で生まれ、当時珍しかった共働きの多い田子浦地区で、地域の方たちに支えられ育った子供時代でした。その中で体に不自由があったり、お年寄りもみんなで支え合っている姿を見て育ちました。往診の先生が、各家庭を回って、地域医療を支え、子供の予防接種をして回ってくれていた姿を幼いころから見ながら、医療の世界に憧れを持ち、地域で生活する方を支える医療に関わりたいと考えていました。

進路選択時には理学療法士になりたいと考え進学しました。
そのころ富士市には就職先が無かったため、富士市から一番近いところにあったリハビリテーション専門病院(現在のリハビリテーション中伊豆温泉病院)に就職しました。そこで多くの富士市民が入院してリハビリテーションに取り組んでいる現状や、富士市から来るまで2時間近くため、退院した後の実際の生活を支える場所が、富士市にはないことに気づきました。

富士市をリハビリテーションの街にしたい

24歳になった私は富士市に戻り、リハビリテーションが富士市で行える場所を1つでも多く作りたいと考えまいた。

お年寄りや成人だけではなく、子供や赤ちゃんのすべての人がその人らしく生きることを手助けが出来るためのリハビリテーションの場を作りたい。

その想いで湖山リハビリテーション病院の協力のもと、地域で生活をしながらも通いながらも、お子さんたちにリハビリテーションが提供できる場を作りました。また、富士市の保健師さんたちと一緒に、各地域のまちづくりセンターで運動の指導やご自宅に伺う在宅訪問活動などのサービスの開拓を行って来ました。また、大渕地区では、地域包括支援センターとの連携を図りながら、地域の健康増進活動にも力を注いできました。

「ああ 富士で生活してよかった。」と思って頂けるように・・

富士市に生まれ、理学療法士として地域の健康づくり、町づくりに関わってきた経験を活かし、「ああ 富士で生活してよかった。」そう思って頂けるよう「すべての人がその人らしく生活できる富士市」をモットーに全力で取り組みます。